2019年5月号 社長ハロー通信より

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社長の田嶋崇之です

家で見る時代の移り変わり

 平成から令和へと時代が移り変わる節目を迎えました。過去を顧みて、未来を想う記事や特集が広く世の中をにぎわしています。新しい時代は、皆様それぞれが発展する良き時代となることを願っています。

 本来であれば私も一呼吸おいて未来へと思いを馳せる時間が必要だと分かってはいますが、3月に決算を迎え4月は年度始めのバタバタで、そのまま怒涛の10連休へ突入で、私どもの様に特に商売人の皆様は資金繰りの事など、とても落ち着かない時期を過ごしているのではないかと思います。なので、ちゃっちゃとこのハロー通信も仕上げないといけないので今回は昭和から平成へと時代の移り代わりを私が住んでいた家などを中心に振り返ってみたいと思います。  昭和48年生まれの私は、昭和の時代を15年ほど過ごしたことになりますが、記憶に残っているのは最後の10年ほどになります。私が生まれたときは小田原の中町に住んでいたそうですが1歳の時に父(会長)が中里に家を建て引っ越したので、私が子供の頃に住んでいた家は中里の家になります。両親が家を建てた当時は家業のスーパーマーケットがまだまだ黎明期で、経済的に余裕がない中で近所の大工さんに建ててもらったと聞いています。今でもこのころに建てられた中古住宅が流通していますが、昭和56年6月に耐震基準が強化され、それ以前の建物は旧耐震と言われています。両親が建てた家は当時としても安普請の木造2階建てで、床下が20センチくらいしかなくて潜り込むことができず、シロアリの防除など外周の通気口から出来る範囲でしかやれないような家でした。ちなみに普通は最低40センチ以上の基礎が当たり前で今から考えたら欠陥住宅なんて言われそうですが、平成バブルのころの建物でも1~2回見かけたことがあります。壁も今では外壁と内壁の間にグラスウールの断熱材が入りますが、当時の我が家は壁の間がすっからかんでした。もちろん天井にも床下にも断熱材はありません。基礎はべた基礎ではないので土がむき出しでジメジメして床板も薄いのでところどころブカブカして、シロアリにも1回やられていました。で、その床下や天井にネズミが住み着いて、時々奴らが天井を駆け回る音がして壁の間に落っこちたこともありました。トイレは最近ほとんど見られない和式で、それでも水洗なのがマシで近所の友達の家はボットン便所でした。お風呂も今どきのユニットバスなどまだなく、タイル張りの風呂場にホーローの浴槽が据え付けられ、出入り口の引き戸が水濡れで軋んで開けづらかったです。小学校3年くらいで姉と部屋を分けて自分の部屋を与えてもらいましたが、私の部屋はビー玉を置くと転がるような部屋で、ドアが床にあたってまともに閉まらず、こうして書いていたらホントに欠陥住宅だったんだなぁと思います。でも当時の家はどれも割とこんなもんで、今でも中古住宅を案内していると似たり寄ったりの家があって、良くも悪くも懐かしい気持ちになります。
現在、当社で取り扱う物件の7~8割はパワービルダー系の建売住宅で、土地と建物で安ければ2千万円を切る価格です。だけど地盤調査した土地に鉄筋コンクリートのべた基礎で建てられ、壁から天井から床下まで断熱材が入り、すべての窓がペアガラスになって断熱性能も優れています。ユニクロの服の様に安いのだけど機能は十分満足できるもので、私が子供の頃の昭和の家からしたら、随分と立派になったものです。
令和時代の家はどうなるのか考えました。関東くらいまでの気候であれば断熱性能は十分なので今後は太陽光パネルや蓄電池の価格が下がって電気やガスを外から買わないゼロエネルギー住宅が、やがて普及すると思います。また、耐震性は十分なので免震住宅が増えてくると思います。ただ、まだまだ使える空き家も増えてくるのでリフォーム済み住宅も増えると思われます。
古い家には今にない味があり、今どきの家には今どきの快適性や安心感があります。それぞれの時代にそれぞれの良さがあり、これからも様々な家をご紹介していきたいと思います。

この写真は宅建協会小田原支部女性部会の観劇会 に参加した時のものです